KANJI ESSAY

~故きを温ねて新しきを知る~ 胡蝶の漢字エッセイ「温故知新」

漢字や書にまつわるエッセイを毎週更新中

2023年09月の漢字エッセイ

日本の美意識 2023年09月24日

~原点は茶室から~

茶の湯

岡倉天心の「茶の本」の中で、西洋の美意識と日本の美意識を比較し分かりやすく書かれていた部分がありましたので抜き出してみたいと思います。

茶室は、引き算である。
人間は同時に色々な音楽を聴くことが出来ないのと同じで茶室には、必要最小限の物しか持ち込まない。
美術品が重複する事を避け、例えば植物の絵を掛けて、更に活花を飾ることはしない。など。
極めて空虚で質素な空間でなけれなならない。

それに対し、西洋の屋内は、おびただしい彫刻、絵画、骨董品の陳列とそれが全て装飾で埋め尽くされており、混沌としている事が富を誇示し、不必要に物が重複されている。

そして自画像を飾り自己アピールを好むが日本では、自己を主張する事を嫌い花鳥風月を画題とする。

茶室においても、真の美は「不完全」を人の心の中で完成させることであり、自己の中で想像し可能性持つ事を任されるのです。

例えば、静まりかえった中に聞こえる茶釜の湯の音をメロディーとして滝の響きか、岩に砕ける波の音、竹林を払う風の音、丘の上の松籟か、などを想像する。

「書」に置き換えてみても、何も書かない余白で想像力を働かせるという点で、殆ど同じですね。

茶室の4畳半の室内を白い紙に例え、最小限の黒の線で余白(間)を大事に、一本一本違う角度、長さで重複させないこと。
技術(意匠)を隠し、最高の技術を用いる。

狭い国土の中に自然が凝縮されている環境で暮らす日本人にとっては必然的な思想のように感じて来ました。
そして西洋の豪華絢爛な世界への憧れも常に持っていることも真逆さ故の事かなと思いました。

◆来年2024年のカレンダー
茶の湯や禅での侘、寂、間、そして雅で粋な贅を楽しむ“大和麗~やまとしうるわし~”の世界。 日本の独自の美意識をテーマにした「出口胡蝶の書アートカレンダー」で2024年をお愉しみください。

2024年カレンダーの詳細へ

和魂洋才 2023年09月14日

~日本の美意識を探して~

今年も後半に近づき、オリジナルカレンダーの製作時期となり、8月のお盆の時期に一人コツコツと制作いたしまして何とか京都展にも出品する事が出来ました。
今回もどんなテーマにしようかと色々と悩んでいた時に、たまたま和魂洋才という言葉を6月の勉強会で教わり、これだ!と思いました。
「和魂」とは、「大和魂」とも言い日本人固有の精神性の事を示します。
西洋の技術や文化も学び取り入れつつ、和の古来の精神を最も大事にするという意味の言葉です。

そのことを、カレンダーにまとめるためにまず、日本独自の美意識を象徴する漢字6つを選び、その漢字の持つ精神性をそれぞれの違いを出すために、筆を変えて線でイメージ表現をしました。

制作しながら、日本の美意識って一体何か?と問われると答えを持ち合わせていない事に歯がゆさを感じつつ、京都に行った際に何かヒントを見つけて来ようと思い、4日間の間に京都国立博物館で「日中書の名品展」をグループの仲間たちと2回拝観し、同時開催(茶の湯の道具 茶碗)展は時間が無く残念ながら観ることが出来ませんでしたが、美術館の書籍コーナーでタイトル「茶の本」美のカリスマ岡倉天心が世界にアピールした“日本人の本当の美意識”という見出しを見つけ、手掛かりはこの本が教えてくれるのでは!と確信し購入しました。

茶の湯特集

京都国立博物館

因みに、今回の自由書展のテーマも日本人の書における美意識についてだったため現代の書のカリスマ 岡本光平先生のギャラリートークも、インスタグラムで配信され、それこそ世界にアピールするに相応しいお話でした。でも、長くなるので日本の美意識については、また次に掲載したいと思います!

つづく

2023年08月の漢字エッセイ

逍遥自在 2023年08月27日

~個展を終えて~

出口胡蝶個展出展作品

先週、出口胡蝶 書+アート展が無事に閉幕いたしました。ご来場くださった方々、お暑い中お越しいただきまして本当に有難うございました。
個展では、日ごろよりお世話になっている方々や、古い友人、書の仲間などそれぞれに深いお話が出来たり、作品を通してその方の内面に触れることができた事が嬉しく、本当に感謝で充実した5日間でした。

書は“人なり”と言いますが、技術で覆われてしまう事で自分らしさ、がくっきりとは浮彫にならないことも事実です。

私の作品の中には、書道ではありえないような、アート的手法や色彩をプラスする事で、さらにオリジナリティーが発揮され自分らしさとも違う、新たな自分だったり、隠れていた自分? だったりが表面化する事がありますが、結局は全て自分であってその日、その時で違うものが出て来る面白さがあります。

私は ”美しいもの”すべてが好きという大きなくくりで見てその中のひとつとして「書」をテーマにして制作して生きているに過ぎません。
年齢性別も関係なく、喜んでもらえたことで、もっと自由でいいんだ、と感じました。
色彩や素材の力を借りることで、どんな効果が出せるか未知な部分も多く、見極めるのに労力とお金もかかりますが、発掘した時の感動が原動力になっています。
これからもっと沢山の方々との出逢いを楽しみにし、制作に励んでいきたいと思いますので、よろしくお願いいたします。

▶個展の動画をYouTubeにアップいたしました。
会場風景と、個々の作品解説をしている2本立ての動画でお楽しみ頂けます!

https://www.ko-chou.com/exhibition/2023-07-goho/

2023年06月の漢字エッセイ

イマジン 2023年06月29日

~胡蝶のイマジネーションによるImagine~

ジョン・レノンの名曲Imagine 「イマジン」は、私の人生でいちばん聴いているかも知れないくらい馴染み深い曲です。
私の産まれた1970年代にこの曲も生まれ、今また戦争が起こり、世界中の人々がこの曲を歌い、歌詞の意味にも存在感が増しています。

出口胡蝶作品「イマジン」

この作品は、ジョンとヨーコが日本で暮らしたときに禅に興味を持ち信仰していたことからヒントを得て、円相の上に”ひらがなと漢字”で表現しました。
コラージュの新聞紙はアンティークショップで見つけたビートルズ全盛期時代のイギリスの新聞紙を使用しました。
歌詞を和訳に置き換えることで、こんな意味を持っていたんだとあらためて知り、感動が治まらない中描き上げた作品です。

◆Imagine イマジンの和訳

想像してごらん 天国なんて無いんだと
ほら、簡単でしょう?
地面の下に地獄なんて無いし
僕たちの上には ただ空があるだけ
さあ想像してごらん みんなが
ただ今を生きているって...

想像してごらん 国なんて無いんだと
そんなに難しくないでしょう?
殺す理由も死ぬ理由も無く
そして宗教も無い
さあ想像してごらん みんなが
ただ平和に生きているって...

僕のことを夢想家だと言うかもしれないね
でも僕一人じゃないはず
いつかあなたもみんな仲間になって
きっと世界はひとつになるんだ

僕のことを夢想家だと言うかもしれないね
でも僕一人じゃないはず
いつかあなたもみんな仲間になって
そして世界はきっとひとつになるんだ

(一部省略)

2023年05月の漢字エッセイ

右筆 2023年05月04日

~戦国大名たちの書状の裏側~

天下分け目の日本最大の戦いである関ケ原の戦いは、たった6時間で勝敗が決まったという事は、ご存じの方も多いかと思います。
その裏側では、戦いまでに日本列島を行き交った書状が何と、500通を超えるという調査結果があります。
度々、テレビで見かける書状の文章の内容は殆ど崩されていて私には解読できませんが、「城」「落城」という字が目に付きます。他にも、御、事、出陣、候などの文字がかろうじて分かる程度で勉強不足でお恥ずかしいです。。

それよりも、筆さばきの上手さに惚れ惚れしてしまいます。
将軍や、大名は子供の頃から厳しく読み書きを教育されているため達筆なのは当然なのですが、それにしてもどの書状も、上手すぎるな~と思いませんか?

そこで調べてみると、実は、「右筆」~ゆうひつ~ という書状の専門秘書官たちがおり、殿の話した内容を巻紙に書き写すという役人が常に右に居て、殿以外の人間とは接触しないという徹底した情報漏洩を守る義務を背負った役人たちでした。
識字率の低い時代に、漢字の知識と文章力と筆の達人であるという事もとても重要ですが、戦国時代の生きるか死ぬかの国家の存亡がかかった書状を書くという仕事は、絶対裏切らないという信頼性が一番ではないかという気がします。

右筆の役人にとって、AIが瞬間的に文章を作成してくれる時代が来ることは、全く想像もしない異次元の世界の話で驚いたに違いありませんね。
私もAIに代わられないような代筆業を時代に沿って運営して行かないとな~と考えつつ毎日がただ過ぎて行く今日この頃です。

2023年04月の漢字エッセイ

城2 2023年04月23日

~まぼろしの城に描かれていた龍~

出口胡蝶作品「城」
(出口胡蝶作「城」)

先日開催されたグループ展に出品した倣書作品「城」の軸装丁には、日本の伝統的な「鱗」文様を用いて縦に伸びる昇龍をイメージしました。

安土城イメージイラスト

偶然なのですが、信長が築いた安土城を再現した映像によると天守閣の柱には、龍が描かれ壁や天井も龍だらけだったそうです。
天守は、金、青、赤、黄色で塗られ中国のデザインをふんだんに取り入れたお城だったそうなので、私の「城」の軸装と安土城が重なって鑑賞する楽しみが増幅されました。

2023年04月08日

~土から生まれた要塞~

「城」の漢字成り立ちは、「土」と「成」で構成され、中国では、土の煉瓦で万里の長城を築いていた事を思うと土から成るという意味が、とても分かりやすいですね。
今回の銀座クラシック展の倣書部門の私の出品作品は「城」です。

1年ほど前に書きたい1字を選び、御岳山での5日間の合宿で厳しい指導を受け練習に励み、そのあとも半年以上かけ研鑽し、2度の審査を通過し、出品資格を得られるため、1年の中で一番時間を注いだ作品を披露する場となり、お客様の反響がとても気になるところです。

今回なぜ「城」という文字を選んだかというと、作品として見栄えが良く、堂々とした「城」を書くというイメージができたのと、三角形の安定感のある外形で「成」の終盤の長い線の見せ場があり、起承転結が表現できるという点で選びました。

私は、北海道十勝というまだ開拓されて150年ほどの土地に育ったこともあり、お城には縁が無く、かなり曖昧な知識しか無かったのですが、「城」を書き始めてこの一年で興味を持つようになり、先日、弾丸旅で白鷺城に行き、城を新たな目で拝観して来ました。

姫路城の写真
(写真=出口胡蝶撮影)

屋根の瓦の色も灰色が混ざった白で、姫路城別名白鷺城の字の如く大空に飛び立つ白鷺をイメージする事ができ、とても魅了されました。

因みに、家康が作った江戸城は、代が変わる度に修復されて来たそうですが初代の城の屋根の色は、白かったそうです。
日本橋からの眺望では、富士山の頂きが見えることから、幼い頃から見ていた富士の山と重ね合わせ、屋根を白にしたと言われています。
日本の「城」の多くは、他の国の城とは違い「富士山」を無意識のうちにイメージし、土から成る「城」を「山」に見立てて築いたのかなとも思えて来ますね。

それぞれの城は、建てた武将の人間性が剥き出された要塞という意味で、個性が様々で知れば知るほど面白いと思えるようになりました。

信長陣羽織 2023年04月01日

8年前に胡蝶の雅号を頂いた時に、先生から信長の陣羽織には蝶の家紋が入っていると聞いたのを思い出し、どんな蝶の文様かあらためて調べてみました。

信長の陣羽織
(出口胡蝶作)

すると、コウモリのような強くて恐れを感じさせる蝶でした。
信長が可憐な蝶をまとっていては意味が無いので当然ではありますね。

「織田信長」は、イエズス会の宣教師から譲り受けたマントを好んで着用していたこともあり、陣羽織もマントをイメージしてデザインし黒い羽がふさふさと埋め込まれたマントに、織田家の家紋「揚羽蝶」を背面に入れたのも、西洋の影響を受けていたことを物語っているように感じます。

丈は長く、動きやすいようにと「折ひだ」が入っており、日本刀の抜き差しがしやすい作りになっています。
武将の陣羽織は甲冑を雨や風雨から守る機能を持つと共に、自らの財力やカリスマ性をアピールしていました。
色や柄も敵か味方かを見分けるためにも重要な意味を持ちました。

ただ、アピールする事が逆効果となり、遠くからでも命を狙われることにも繋がるのも否めなく、徳川家康の逸話によると三方ヶ原の戦い(現在の静岡県浜松市)で武田信玄軍の攻撃に合い 人生最大の接待絶命の窮地に追い込まれましたが、家臣が、家康を守るために甲冑を交換し、主君を逃がし、身代わりになり討死しそのおかげで家康は何とか浜松城に帰還することが出来たとされています。

家康の人徳があっての家臣の行動は、信長の本能寺の変で家臣の明智光秀に襲撃された事を対比させると、皮肉にも感じてしまいます。

2023年02月の漢字エッセイ

博多織 2023年02月08日

昨年末から、着物の教室に通い始めまして、着付けの勉強の中で、着物の生地を作る染織技術が特に面白いな~と感じ、どの染、織の技術も職人の労力に脱帽するばかりですが、模様に託された意味を知ると、さらに興味が膨らみ日本の伝統文化を知ることにもつながるのでご紹介したいと思います。

今回のテーマ
~博多織の模様のモチーフは実は、空海が持っていたあの道具だった!~
です。

◆空海が遣唐使として唐へ渡り密教を師の恵果和尚から日本人でありながら、ただ一人選ばれ、わずか2年で継承したのですが日本に帰国する際に、明州(現在=浙江省)の港から、師から授かった三鈷杵(法具)取り出し密教を広めるのにふさわしい地に導きますようにと東の空へ力いっぱい投げました。
そして10年後、空海は高野山の松の木にこの三鈷杵が引っかかっているのを発見し、三鈷杵の導き通り、高野山に真言密教の道場を開こうと決意したという伝説があります。

実際は、願掛けの為とは言え、師匠から授かったものを海に投げるような行為をしたかは疑問ですが、、。

三鈷杵 【出典】小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)

◆三鈷杵(さんこしょ)=(金剛杵、独鈷どっこ)は、もともと古代インドの武器で煩悩を破る意味を持っていて、インドの仏さまで帝釈天が手に持ち、象に乗っています。

博多織

先日、博多織の職人さんが博多から来られ、教えて頂いたのですが博多織の模様は、独鈷(どっこ)をコロコロ転がした模様だそうで、帯の内側に小さい独鈷をお守りとして忍ばせているのを見せて頂きました。
博多織の模様は、ただの幾何学模様ではなく邪気、災い、恐れ、不安を振り払うための護身の意味を持っていたのですね。
そして、もう一つは江戸幕府への献上品として納められていたそうです。
そんなに格が高い織物だったという事も、恥ずかしながら初めて知り驚きました。

2023年01月の漢字エッセイ

松竹梅 2023年01月30日

~日本人共通の言の葉
古くはこうしてできました~

松竹梅の掛け軸 出口胡蝶作

先日の帯広で開催した個展で、掛軸をご購入頂いた十勝の広尾町の親戚の方から、ご自宅の床の間に飾った写真を送っていただきました。
やはり床の間に掛軸というのは、あらためて見てみるといいな~と感じました。
床の間という少し奥まった空間に掛軸が、生かされていて自分の子が良い場所に嫁いだ親の気持ちになりました。

ところで「松竹梅」がなぜ、吉祥語として象徴的に君臨しているのでしょう?
中国の「歳寒三友(さいかんさんゆう)という言葉がありますが、日本では江戸時代に「松竹梅」が吉祥語になったそうなので意外と最近ですね。
そして語呂も良く、字面(字体が絵になる形)も良いので全てに於いて吉祥語の代表と呼べるのも頷けます。

●「松」は、冬でも青いことから、不老長寿
●「竹」は青々と真っすぐに育つため、子孫繁栄
●「梅」はどの花よりも先駆けて寒い冬に咲く事から逆境に強い人生(縁起が良い花)
確かに、この寒い1月に花を咲かせるというのは、気高い強さを感じ、肖りたいという気持ちになりますね!

平安時代前期には 遣唐使によってもたらされた唐風文化が主流でそれも衰退し、和歌=恋文を詠む色好みの人だけのものとなってしまっていました。
しかしそれを危惧していた 紀貫之(百人一首の歌人の一人)が先陣となり和歌を復興させようとしました。和歌に人の心情と言葉の型を作り、誰もがその言葉の組み合わせて歌にすることで、共通の季節感と情景の認識が出来るようになり日本人の心が和歌によって繋がったのです。
日本人にとって 桜と共に春を祝う習慣も 古今和歌集以降からのことだそうです。

紀貫之が考案した表現の型の例
●春=梅にうぐいす、桜と霞
●秋=紅葉に錦、月と雁

春節 2023年01月21日

~万事如意~

日本では、お正月と言えば大晦日の除夜の鐘の音と共に年が明け、元旦から3日~4日間くらい、家族と家で過ごすのが一般的ですが、中国では、旧暦を基にした旧正月(春節)に祝う習わしです。
今年は今週22日~27日の7連休となり、コロナ前の本来の春節よりは、控えめだろうと思われますが、久々に中国の都会から田舎の家族に一年に一回、春節に帰省するという人も多く、今年は三年ぶりのお祭りムードの春節になりそうですね。
中国の地方への長距離移動の場合、1週間のうち半分くらいは移動時間になるケースも少なくないようですのでそれに比べたら、私の実家の帯広まで1時間20分程度は、近所に帰るようなものだな~と思いました。

春節と言えば、昨年のお正月5日に、中野ライオンズクラブの会長様より書き初めの講師ゲストとして、新年の賀詞交換会にお招き頂き、台湾のライオンズクラブの仲間に皆で、寄せ書きを書いて春節に間に合うように掛軸に仕立て、贈るという企画をいたしました。
その時に、台湾(中国)の方へのメッセージを伝えるためにどんな言葉が良いか探ってみたのでご紹介します。

(中国語)(日本語)
身体健康身体健全
全家平安家内安全
生意兴盛商売繁盛
万事如意心願成就 如意宝珠
想事成事心願成就
大吉大利上々吉

中国の四字熟語だけ見ていても、意味は伝わって来ますね。

万事如意

私の先日の帯広お正月個展の出品作「萬事如意」
明るい希望の春のイメージで、装丁いたしました。

微笑佛 2023年01月14日

~ほほえみぼとけ~

微笑佛

私の作品の一つに、微笑佛(びしょうぶつ、または、ほほえみぼとけ)という作品があります。
この作品を先日開催した帯広個展で展示しましたところ、他の行書などの流麗な作品の中に突然全く違う雰囲気の書体が現れ、ユニークな文字として際立ち、印象に残る作品になったようです。
お客様からは笑っているようにも見え、面白いというご意見も頂きました。

張遷碑篆額

この文字は、「張遷碑」という後漢時代の古隷(古い隷書)の文字が刻まれている石碑の上部にある題字部分です。
篆書体で刻まれており、始皇帝の縦長の篆書とは違い扁平で字間も詰まっていて、でも均一な間合いが一体感を生み個性的な味わいとなっていることから、興味を持ち創作してみたいと思い、この書体に合ったモチーフを考え、倣書いたしました。

これが2千年前の文字とは考えずに、初めて目にする方が多いかと思われますが、私が書いた作品から純真で素朴な美を感じ取ってもらえたことは、古代人の息吹を現代人へ 橋渡しができたような感覚になり、嬉しく思いました。

つづく

2022年11月の漢字エッセイ

浅草酉の市 2022年11月19日

~文字から放たれる、江戸の粋~

浅草鷲神社

昨日、浅草鷲神社の酉の市に、今年もお札書きに行って来ました。
酉の市(熊手のお祭り)は、関東が中心ですが、毎年ニュースでも映るため、全国的に有名ですよね。

酉の市の起源は、江戸時代からで浅草、鷲(おおとり)神社と、足立区花畑(はなはた)の大鷲(おおとり)神社が一番古いそうです。
鳥居門を入ると正面に 江戸文字が書かれた提灯がずらーっと吊り下げられ、ここは、中国でも京都でもどこでもない、江戸に来たんだ~!という気持ちに一瞬で切り替わり、まさに商売繁盛の意味を持つ文字が適材適所に彼方此方にあって、存在感を放っているのを感じました。

そして私と、筆耕ドットコムのスタッフ何名かで毎年、熊手屋(福田屋)さんのお札を書かせて頂いていますが、福田屋さんは、実は鷲神社で熊手を売るお店が約150店ある中で  一番店舗数の多い5店舗を構える老舗の熊手屋さんです。
私たちは、お客様のお名前などを木札に書くのですが、商売繁盛を祈願するものなので、個人名以外にも、お店の名前や、社名を書く事が多くこのお店が繁盛しますように!という思いで揮毫しています。
江戸時代から、200年近く続く中で、このお札を書く職人さんも、世代交代を繰り返し、それに肖って、江戸っ子でも何でもない私がここで馴染んで書いていることも、ちょっと粋?!だな、と思いつつ…。お店の皆さんが、やはり地元の方々なので人なつっこい気質のおかげかと思います。

そして、家内安全、商売繁盛の威勢良い手締めと掛け声が響く中、書きあがったお札を見て、お客さんが喜んでいるのが隙間から見え、筆耕冥利に尽きる贅沢な瞬間でもあり、二の酉を終え次の三の酉も、もっと早くて、上手い字が書けるようにと願っているところです。

禅の書 2022年11月01日

~禅と茶の湯、そして書~

禅の書パンフレット

先日、世田谷区上野毛にある五島美術館で開催されていた「禅宗の嵐」秋の優品展をCACA(現代アート書作家協会)のメンバー約10名で拝観して来ました。
五島美術館は、東急(東京急行電鉄)の創始者、五島慶介の美術コレクションを保存展示している美術館です。
今回「禅の書」とその歴史背景が紹介され、見学会後の岡本先生の講義により少し全体像が見え、とても勉強になりました。

私なりに簡単に解説をすると、

鎌倉時代初期に、臨済宗の開祖である僧侶栄西が、中国へ修行へ渡り禅を(宋=徽宗皇帝の時代)日本へ布教し、同時に中国で儀礼でも用いられていたお茶の効能を知り、日本の鎌倉武士に普及させました。

そして、臨済宗の沢山の僧侶が中国と交流を深めて行く中、 円爾弁円(亡くなった後の称号=聖一国師)という駿河出身の高僧が、静岡茶を普及し、開祖となりました。(南浦紹明は、福岡で広めました)

因みに、お茶はそれ以前は、平安時代にも遣唐使空海がお茶の種を持ち帰って来ていましたが、位の高い天皇など、ごく一部の者だけが愛飲していた珍しいものでした。

そして、お茶がこの時代に根強く普及した最大の理由は、鎌倉から南北朝時代の戦国武士たちは、殺戮が日常茶飯事で、常に死と隣り合わせの生き方だった事で、お茶が、戦いの後の精神的な癒し効果となり、精神的な面でのオンとオフとして取り入れられ、流行していったそうです。
現代人のストレスとは比べ物にならないものだったに違いありませんね。

私たちCACAでは、昨年から「禅の書」を学んで来たつもりでいましたが、こういった裏側を知ると、茶の湯が、武士の世にとって、今より必要不可欠で、茶室の床の間に飾られた「茶掛け」の書の精神的な重さを考えると、書の役割も今より何倍も大きかったことが想像できます。
高僧の書が=「禅の書」と言えるとすると、書家の私が書くものは"禅の書のスタイルを含んだオリジナル書"になるのかなと思いました。
これかれらは少しでも、禅僧の境地を想像し、禅的スピリットを持って書こうと思いました。

※今回の展示では、花押が書かれた書状は1点しか見当たりませんでしたが、武士によって花押が盛んに用いられ花押が沢山生まれたことに対して、禅僧にとっては中国の影響が強いためか、花押ではなく落款が主に使われていたと言えます。

2022年10月の漢字エッセイ

宋徽宗の書 2022年10月13日

~美術を愛した宋時代のラストエンペラー~

徽宗皇帝が生み出した書体、痩金体(そうきんたい)と呼ばれるオリジナルフォントをご存じでしょうか?
名前の通り、針金のような細くキレのある線が特徴で、好みも分かれるかも知れませんが、高貴で強く美しい書体です。

痩金体の模写
(痩金体の模写)

模写してみて気が付いたことは、皇帝らしく縦に伸びている形なのと、収筆(斜めに大きく抑える)など規則性がはっきりあり、確かに、他に類のない特徴を持っている書体だと思いました。
でも、思ったより難しくはなく、癖を覚えると、突いて一気に抜く線はとても爽快で気持ち良いと感じました。ストレス解消にもおすすめです。

徽宗皇帝草書体
(徽宗皇帝草書体)

徽宗皇帝草書体の模写
(徽宗皇帝草書体の模写)

そして草書の方も、筆の運動が大きく、ダイナミックで即興で書かれた文字は「氣」やオーラが全開になり、自信を持っているからこそできる自由さを感じました。
こんな風に書けたら、政治の事など忘れてしまうのも無理は無いかも?と想像してしまいました。

徽宗皇帝は、前回のエッセイにも触れましたが、芸術家として才能を持ち、画業に没頭し過ぎ、民衆から反乱が起きているうちに他の国に侵略され滅ぼされてしまった悪名高い皇帝です。具体的には、宮廷の中に、芸術家の養成所を作ったり、美術品の保護や、研究などの活動に力を入れました。
そして、御妃など大勢の女性を置き名前が分かっているだけでも166人、子供も35人くらいいたそうです。徳川幕府の大奥は、徽宗皇帝を参考にしたのでは?と思ってしまいますね。

とにかく自分の私利私欲のために民衆から高い税を取り立て芸術へお金を投資していました。
その時代に生まれ、民衆として生きていたら、自分も反乱に参加していたかも知れませんが、長い歴史を俯瞰して見ると、中国美術史上、かなり重要な美術品の黄金期を築き上げ 芸術面で魅力的な中国を作り上げた人であり、平和を好んだ人だったのでは?と思いを馳せ、お会いして書や絵の話しを聞いてみたかったなと思いました。

京都花押記2 2022年10月04日

~中国の花押~

先日の京都で、相国寺承天閣美術館を拝観した際に、予想していなかった書画作品に出合い、足が留まりました。
それは、中国の宋徽宗皇帝の「白鷹図」に書かれていました。

宋徽宗皇帝の花押

宋徽宗皇帝の白鷹図の白鷹の頭の上の中央にあった郵便番号の記号のような形で書かれていた花押です。
日本の花押と違い、とてもシンプルで画数が少ないのですが意味は深く、「天下一人」の文字が三画で書かれています。
たった3本の線の中に皇帝であるという大きな意味を含ませている事を知ると、何倍もの価値を持って花押を観ることができ、花押の面白さを感じました。

宋徽宗皇帝 肖像画

中国北宋時代の徽宗皇帝(12世紀初、1082~)は、皇帝でありながらも優れた才能を持ち、芸術家として熱心だったことで政治が疎かになり、国が弱くなってしまったそうですが、徽宗皇帝が書いた作品を見ると超絶な腕前であることから、政治をさぼってしまうのは無理も無いだろうなと思ってしまいます。

そして、徽宗皇帝の花押は中国で一番有名だそうですが、徽宗皇帝の沢山の名品が残っている事で、同時にそこに書かれた花押も目に触れられる機会が増え、有名になったのではないかな?と思いました。

つづく

2022年09月の漢字エッセイ

京都花押記 2022年09月19日

~戦火での寺の危機を守った花押~

先週、私の在籍している現代アート書の展覧会があり京都へ行って来ました。
それに伴い、時間を作って必ず観に行く予定でいた展覧会がありました。
相国寺承天閣美術館での特別企画展「武家政権の軸跡-権力者と寺」という題目で、何やら、花押の匂いが漂っていたので、花押を知るための手がかりを、書籍ではなく実際にこの目で見られるのでは?と思い、帰りの新幹線の時間を気にしながら早足で拝観して来ました。

特別企画展「武家政権の軸跡-権力者と寺」ポスター画像

思った通り、沢山の花押に出合う事が出来ましたが、その多くはある目的のためでした。
それは相国寺を創建した足利義満以降、歴代の足利将軍と深い繋がりによって収蔵されていた沢山の遺品を、応仁の乱などの度重なる戦火から守るため、その時代ごとの権力者が、寄付により復興させて来た歴史があったからでした。
そのため、武家や幕府と、相国寺の住職や寺領との間で交わされた文書に「花押」がサインとして書かれたのです。

花押が、どのような役割で使われていたかという事や、花押の存在で全体が引き締まり、画面の中の起承転結の結となり、文書の重大性を示しているのを感じました。

つづく

伊藤若沖 2022年09月19日

先日、CACA現代アート書作家協会の京都展が開催のため、京都に行って来ました。
沢山ある神社仏閣の中で、いつも訪れているのが相国寺の承天閣美術館で、今回も拝観して来ました。
室町時代に足利義満が創建したお寺で、伊藤若冲ゆかりのお寺です。
若冲の作品が常設展示されており、その理由は相国寺の住職が若冲を早くから絵師として抜擢し、一生涯において、大変深い関係だったことから、若冲の絵が沢山収蔵されています。

伊藤若沖の作品

今回展覧会が開催されたギャラリーからも近い、錦市場で若冲は八百屋の長男として生まれ育ちました。
通るたびに若冲がこの辺で絵を描いて遊んだりしていたのかなと、タイムスリップした気になりワクワクします。
因みに、今回何としても行きたかった、藤井有鄰館(中国殷~清時代の書画、印、青銅器、磁器などが収蔵されている美術館)も拝観して来ましたが、展示されていた中国の明時代の絵画と、若冲の動植綵絵がそっくりでした。
義満が日明貿易で集めた明の美術品も相国寺に収められていたそうなので、それを見た若冲がかなり影響を受けて腕を磨いたことも納得できました。

京都二条城で撮影した雲龍(飛行機雲)
※京都二条城で撮影した雲龍(飛行機雲)

つづく

運慶の花押 2022年09月09日

今回は、鎌倉時代初期に天才仏師として腕を振るった運慶の花押に注目しました。

運慶の活躍の背景には、運慶の才能を見込んで鎌倉幕府が奈良から呼び寄せ、幕府のお抱え仏師となり、北条氏、三浦一族らが注文主となり、鎌倉に近い三浦半島で仏師10人くらいでチームを組み沢山の仏像を残したことがありますが、意外と知られていません。
運慶が棟梁としての役割も担っていた事が分かり、技術指導はもちろん、弟子の給料の事なども考えながら、依頼者の武士たちと色々な交渉をしていたのかな、など想像が膨らんでしまいます。

運慶の花押

運慶の花押について
私の個人的な推測ですが、運慶の「運」の草書体が花押の筆跡の造形と重なるのでは無いかと考えました。
模写してみると、今まで書いた中で一番、筆順が分かりにくく流れが掴めない難しい花押でした。
運の字のしんにょう部分は大きく弧を描き、運慶の仏像の動きの表現から来るのかな?とも想像しました。

2022年08月の漢字エッセイ

北条家花押 2022年08月31日

~北条一族の花押から見えて来る野望とは~

今回は、今大河ドラマ「鎌倉殿の13人」の主人公北条義時の花押を探るため、北条一族の花押を資料から、全て模写してみました。
幾つか分かってきたことは、花押の資料に掲載されている中で、断トツで数が多く、さらに他の時代全ての花押を見ても最多数であることに気がつきました。
花押が流行した時代=北条の繁栄した時期だったと言える?のが窺えます。

北条一族花押
〈※「書の日本史」掲載 ⇒鎌倉時代の200個のうち約60個が北条一族の花押)

源頼朝から受け継ぎ、政権を支配していた北条義時の花押を取り上げて見てみると、他の沢山の花押に比べ、縦長の形状で横(斜め)に動く線は短く、吐出した見せ場のような線は天辺に少し突き出した部分だけです。

北条義時の花押
〈北条義時の花押)

頼朝の花押と書いて比較してみると、頼朝の花押を基にし、義時の方が地味で、動きが少ないので書きやすいと感じました。

~義時の人物像~
義時は、頼朝の側近として最大の信頼を得ていましたが、頼朝の死後、嫡男の頼家が2代目征夷大将軍になり、まだ若かったため側近として政治を支えるために有能な武士団(チーム鎌倉)を固め義時が指揮官となり権力を持ちました。
姉の雅子ともタッグを組み、いつ自分たちが滅ぼされてもおかしく無い危うい時代のリーダーとしてどんどん残虐な選択をせざるを得ない状況に追い込まれていったのだと思います。

花押から見ても、リーダーでありながらも金銀財宝を収集したり、オリジナリティー性を主張するようなオーラのある人物ではないように思います。
逆に、地味だからこそ、人の心を見抜き人を動かす能力に長け、戦略の上での強みになっていたと言われています。
今の世の中でも、そういう社長の方が、現実的に人がついて行くのだなということを感じ、勉強になりました。

続く 

創造 2022年08月22日

先月、五峯ギャラリーで開催した展覧会に出品した中の一つ「創造」を昨日ご購入者のご自宅へ納品し、無事に嫁がせて頂きました。

ご購入いただいた決め手は「創造」という言葉が大好きな事と、ポップでカラフルな色調の額と文字の雰囲気が合っていて惹かれたとのこと。ご本人も、インテリアコーディネーターや工芸、書をやっている方なのでぴったりだったようです。

胡蝶オリジナル作品「創造」 画像

今回の作品の元になったのは、中国の漢時代以降の宮殿、陵墓、城壁などの部屋の壁、柱や門、床などに敷き詰めらえた塼(せん)=(煉瓦タイル)また画像石題記の拓本資料の中から文字を選び取り、紙は画用紙、筆記具はパレットナイフで描き、部分的にマスキングテープなどで装飾し、現代的な文字アート作品に仕上げました。

画像石題記

画像石門[君」

ちなみに画像石題と言うと、現代でいうモニター画面上に映る画像のことを思い浮かべてしまいますが、画像とは、動物や、文様などの肖像画を石に刻んだもののことです。

この塼や、石題の書体のベースは、篆書や隷書で、そこに鳥蟲篆などが装飾的に加味され、どれも古さが感じられなく、現代人にも通じる新しさすら感じます。
その理由は書の基本フォルムが根底にありながら、一字一字に多少の創作がされ、人の手による温かさと、石に刻まれた強い線が緊張感を生み、だたのレタリングだけではない永遠の美が宿っているからだと思います。

先週亡くなられた、ファッションデザイナーの三宅一生氏は、7歳のときに広島に投下された原爆で親を亡くし、自分一人が生き延びたというトラウマを逆境に、「破壊ではなく創造できるもの、美と喜びをもたらすものを考案するのが好きだ」と語り「再創造」という言葉をモットーとしていたそうです。

アバンギャルドでありながら、用の美が一体になったファッションが世界中の人に愛され、奇抜さだけでは飽きられてしまう、という事を教えられたような気がします。

2022年07月の漢字エッセイ

安倍元総理の花押 2022年07月19日

~安倍元首相の花押を読み解く~

安倍元総理の街頭演説での襲撃事件から10日が経ち、今でも事実だとは思えなく、いまだ安倍元総理の、はつらつとした声が聞こえて来そうです。
ご冥福をお祈りいたします。

安倍元総理の花押はどんな花押だったのだろうとふと思い、調べてみました。

安倍元総理の花押

推測ですが、(晋)の上部と、(三)を重ね合わせた形のようです。
(晋)の漢字の由来は(進)と同じで、縦の2本は矢を意味し、狙いを定めてどんどん進む、という意味です。
(三)は、3世代の意味がある事を考えると、政治家のトップの家柄に生まれた事にも結び付けられます。
祖父 岸信介(内閣総理大臣)、父、安倍晋太郎(外務大臣)

実際、どのような意味が込められ花押を作られたかは、分かりませんが、頻繁に、この花押を書いていたのだな、と思うと感慨深い思いが致します。

信長の花押 2022年07月11日

安土桃山後期から、室町時代の武将で、日本で最も人気の高い歴史上の人物で知られています。そして、花押も同様に最も人気があるようです。

織田信長の花押は、人生で沢山の花押を使用したそうですが、先週ご紹介した「麒麟」の麟をモチーフにして作られています。

胡蝶書 信長30歳の時の花押
(胡蝶書 信長30歳の時の花押)

私が書いた信長の花押を見てもらうと、花押として有名なので見た事がある人は多いかも知れません。
ただ「麟」の漢字をどうやったらこの形になるのかは私の知識では、残念ながら説明できませんが...。
漢字そのものより、動物の形として見た方が納得出来、格好いい、というより愛嬌が感じられます。
あとは、デザインとして2等辺三角形を横に倒したような安定した外形なので、手紙の最後にあると、安定して見えるという事もあると思います。

そして、なぜ「麒麟」がモチーフなのか?

麒麟は、泰平の世の前兆に現れる、想像上の生き物で殺戮を嫌い、命を大事にする動物です。
信長の「天下布武」の言葉の意味は、武力によって世の中を統一するという意味ではなく、「徳」を持って平和な世の中を創るという意味だったことが近年分かったそうです。
傍若無人で、ワンマンな性格もあったようですが、楽市楽座を設け、自由に商いができ、関所を廃止してどこでも行き来できるようにしたりなど、並外れた発想力で経済を豊かにし、楽市楽座の名前の如く、楽しい世の中にしたと考えていたのかなと思うと麒麟のように思えなくも無い、と思いました。

麒麟 2022年07月04日

麒麟 イメージ画像

麒麟(きりん)は日本ではキリンビールのロゴマークとして誰もが知っている霊獣の一つですが、中国で古くからの伝説としてどのような象徴かご存じでしょうか?

泰平の世(幸福で安定した世の中)の前触れに現れる伝説の動物と言われています。

中国では、龍、鳳凰、と比され、麒麟は麒が雄で麟が雌と言われており、容姿は鹿で、顔は龍、背丈は5メートル、牛の尾と馬の蹄(ひづめ)をもち、背毛は五色に彩られ、毛は黄色く、身体には蛇の鱗があり、様々な動物が集合した最強の動物ですが、性格は、とても穏やかで足元にいる虫や、植物さえ踏むことを恐れるほど殺生を嫌う優しい動物とのことです。

今まで漠然と、強くて龍のような勇ましいイメージがありましたが、泰平の世の前に現れる優しい動物だという事を知り、麒麟の存在が、癒しキャラのように思え、地球上のどこかで現れてくれることはもちろん、自分自身が、小さな世界で麒麟のようになれたらいいな~と思いました。

つづく

2022年06月の漢字エッセイ

胡蝶花押 2022年06月28日

~自分だけの漢字+平仮名のハイブリッド~

私、胡蝶の花押デザインを制作しました!

胡蝶の花押
(胡蝶の花押)

雅号 「胡」と「蝶」の草書の一部で構成しています。

胡蝶の花押 構成要素

蝶の虫へん+胡のつくり「月」と葉の下部「木」=「ふ」と(蝶々)=「てふてふ」の「ふ」を重ね合わせました。

胡蝶の花押 構成要素

胡蝶の花押 構成要素

平安時代では漢字は、男性の文字で平仮名は女手(女文字)とされていたことに習い、女性らしい柔らかさと、凛とした線で強さを花押で表現しました。

◆胡蝶の花押ストーリー
『虫(さなぎ)が蝶となり羽を広げ風に乗り 大きく羽ばたいて、ふわっと優しく舞い降りる...』

自分にはそんな優雅さはありませんが、雅号にあやかりたいという願いを込めました。

義経書状 2022年06月21日

~ 義経にも受け継がれている王義之の系譜 ~

源義経の自筆の書状と言われている2点のうちの1つ高野山金剛峯寺宝簡集の中の書体に注目してみました。部分を切り取って比較しました。

義経の自筆書状「部分」
(①義経の自筆書状「部分」)

義経の自筆書状「部分」
(②王義之字典より「事」)

義経の自筆書状「部分」
(③王義之字典より「別」)

写真の中の①と③は同じ「事」の漢字かと思われますが、①は行書、③は草書で書き分けされているのが分かります。
文頭の「高野山~」も行書が中心ですが、2行目以降段々と草書へと移行し、微かな墨量で2~3字を連綿で続けて書かれており、伸びやかな筆運びが、義経の若さと行動力の広さを感じさせます。

義経花押 2022年06月13日

~ 花押から見える源氏パワー ~

前回は、源頼朝の花押を取り上げ、花押に秘められた一面を覗く事ができ、ご好評いただきましたので、もっと花押の世界に視野を広げて行きたいと思います。
今回は頼朝の弟、義経の花押に注目してみました。

義経は、頼朝の異母兄弟で、母、静御前、幼名「牛若丸」までは私も子供の頃に読んだ本で覚えていますが、様々な伝説が各地で残されている戦術に長けた凄いヒーローとして今でも人気が高い武将です。
因みに、義経が亡くなった日は、1189年6月15日ということで、偶然にも明後日だということと、空海の誕生日が6月15日で、2つの一致点に気がつき驚きました。
さらに何の因縁も無いとは思いますが 私の恩人も同じ6月15日です…(笑)

↓壇ノ浦の戦いの前年、二十六歳で書かれた数少ない若き義経の花押です。

義経の花押
(義経の花押)
源+「經」
左に大きく膨らんだ弧のように書かれ、旁の方は横画を繋げて立て、波のようなデザインです。

王義之字典より「經」 行書体
(王義之字典より「經」 行書体)
※義経の「つね」→「經」は縦糸の意味です。

頼朝の花押よりも、早く書けるということを重視しているようにも思いましたが義経の戦略家としての頭の回転の良さと、勢いのあるパワーを感じました。

つづく

頼朝花押 2022年06月06日

「花押」=(かおう)という言葉はご存じでしょうか?
私は、普段から沢山のお名前を書くのが仕事ですが、整った楷書体以外は、筆耕では殆ど書く事はありませんし、絶対的に読めて、等間隔で全ての人にとって美しいと感じてもらえ 中庸で安心感のある美が筆耕での極意です。
でも、その真逆の美が「花押」のように思います。

その理由は、全く読めないサイン(署名)という事と、主に書体の中でも読むのが難しい草書体を使って名前の漢字2文字などを重ねて2文字を1文字のように見せるなどされた、世の中にたった一つのハイブリットデザインだということです。

※草書体は、中国でも隷書を崩して簡略化された画数が少なく連綿で書くことに適した書体です。
日本では「ひらがな」のもとが草書です。草書をもっと簡略化する事で、誰もが早く書けるようになりました。

源頼朝の花押で分かりやすくしてみましょう。

資料「源頼朝袖判下文」文末に見られる頼朝の花押
(資料「源頼朝袖判下文」にある頼朝の花押)

頼朝の名前の部分「束」と「月」を合体させて創られています。
まずは字典の「束」と「月」の草書に近い字を書き出してみました。

束と書いた画像
月と書いた画像
(束と月のそれぞれ書いた画像)

臨書してみましたが結局筆路が分からず、墨の掠れ具合で判断しました。 
単純に2字が合体されているのではなく、かなりデフォルメされてデザイン化されているのが分かりました。

源頼朝花押臨書
(源頼朝花押臨書)

想像ですが「~月をも束ねる~」という意味で解釈すると、平家を滅ぼし、初代征夷大将軍となった頼朝の精神性がこの花押に込められているのかな?と考えると、「サイン」という表現は相応しくないと感じました。日本人の漢字に情緒を込める気質が独自の漢字文化を作り、その中で花押が誕生したのは納得です。

つづく