俯仰法
俯仰法(王羲之、顔真卿からの伝統の筆法)は継承できるのか?
最初に、「書の俯仰法」とは何か、というところから説明します。
顔を伏せたり、仰いだりする、上下の運動に例えた表現です。筆は、毛先(命毛)、のど毛、腹毛といった部分を使い、表・裏へと360度角度を変えながら動かせるため、緩急や線の太さ、強弱をつけやすい道具です。
でも、なぜ現代では、その技術がなかなか再現できないのでしょうか?
たとえば、食べる道具でいうと、スプーンやフォークは明治維新後、西洋文化の流れとともに日本に広まっていきました。でも、今でも箸は食卓の中心にあり、親から教わって、日常的に使っています。
それに比べ、筆はどうでしょう?
筆に代わる道具の普及
鉛筆やペンも、同じく明治維新後に広まっていきました。今、朝ドラのモデルになっている随筆家の宇野千代(1897~1996年)も、ドラマでは鉛筆で原稿を書く姿が描かれ、西洋レストランでウエイトレスとして働いていました。
そのころから、西洋のものがモダンなものとして流行し、やがて筆は鉛筆やボールペンなどに代わられ、日常では使うことがほとんどなくなってしまいました。
今では、筆を使うのは小学校に入ってからのお習字の授業の、わずかな時間だけということも多くなりました。柔らかい毛で書くことに慣れないまま、使い慣れた鉛筆と同じように筆を操ってしまう、ということが起きます。
そして、教える先生や親も硬筆世代なので、古い筆法を教える機会はほとんどないのが現状です。
ずいぶん遡りますが、江戸時代の寺子屋では、読み・書き・そろばんが主力とされていました。子どもの教育の中でも書道(習字)の重要性が高く、教える側にも確かな基礎力があったと思います。
ちなみに、筆の仕事をしている私にとって、ペンは書きづらく、筆に比べ得意ではありません。書道とは別に、硬筆ペン習字という世界があるのも納得できます。
書き手のまなざしに、もう少し。
