禅の書
~禅と茶の湯、そして書~

先日、世田谷区上野毛にある五島美術館で開催されていた「禅宗の嵐」秋の優品展をCACA(現代アート書作家協会)のメンバー約10名で拝観して来ました。
五島美術館は、東急(東京急行電鉄)の創始者、五島慶介の美術コレクションを保存展示している美術館です。
今回「禅の書」とその歴史背景が紹介され、見学会後の岡本先生の講義により少し全体像が見え、とても勉強になりました。
私なりに簡単に解説をすると、
鎌倉時代初期に、臨済宗の開祖である僧侶栄西が、中国へ修行へ渡り禅を(宋=徽宗皇帝の時代)日本へ布教し、同時に中国で儀礼でも用いられていたお茶の効能を知り、日本の鎌倉武士に普及させました。
そして、臨済宗の沢山の僧侶が中国と交流を深めて行く中、 円爾弁円(亡くなった後の称号=聖一国師)という駿河出身の高僧が、静岡茶を普及し、開祖となりました。(南浦紹明は、福岡で広めました)
因みに、お茶はそれ以前は、平安時代にも遣唐使空海がお茶の種を持ち帰って来ていましたが、位の高い天皇など、ごく一部の者だけが愛飲していた珍しいものでした。
そして、お茶がこの時代に根強く普及した最大の理由は、鎌倉から南北朝時代の戦国武士たちは、殺戮が日常茶飯事で、常に死と隣り合わせの生き方だった事で、お茶が、戦いの後の精神的な癒し効果となり、精神的な面でのオンとオフとして取り入れられ、流行していったそうです。
現代人のストレスとは比べ物にならないものだったに違いありませんね。
私たちCACAでは、昨年から「禅の書」を学んで来たつもりでいましたが、こういった裏側を知ると、茶の湯が、武士の世にとって、今より必要不可欠で、茶室の床の間に飾られた「茶掛け」の書の精神的な重さを考えると、書の役割も今より何倍も大きかったことが想像できます。
高僧の書が=「禅の書」と言えるとすると、書家の私が書くものは"禅の書のスタイルを含んだオリジナル書"になるのかなと思いました。
これかれらは少しでも、禅僧の境地を想像し、禅的スピリットを持って書こうと思いました。
※今回の展示では、花押が書かれた書状は1点しか見当たりませんでしたが、武士によって花押が盛んに用いられ花押が沢山生まれたことに対して、禅僧にとっては中国の影響が強いためか、花押ではなく落款が主に使われていたと言えます。
書き手のまなざしに、もう少し。