Words & calligraphy

漢字エッセイ

書家・出口胡蝶の、書とことば。

202211月2編のエッセイ

浅草酉の市

~文字から放たれる、江戸の粋~

文 出口胡蝶

浅草鷲神社

昨日、浅草鷲神社の酉の市に、今年もお札書きに行って来ました。
酉の市(熊手のお祭り)は、関東が中心ですが、毎年ニュースでも映るため、全国的に有名ですよね。

酉の市の起源は、江戸時代からで浅草、鷲(おおとり)神社と、足立区花畑(はなはた)の大鷲(おおとり)神社が一番古いそうです。
鳥居門を入ると正面に 江戸文字が書かれた提灯がずらーっと吊り下げられ、ここは、中国でも京都でもどこでもない、江戸に来たんだ~!という気持ちに一瞬で切り替わり、まさに商売繁盛の意味を持つ文字が適材適所に彼方此方にあって、存在感を放っているのを感じました。

そして私と、筆耕ドットコムのスタッフ何名かで毎年、熊手屋(福田屋)さんのお札を書かせて頂いていますが、福田屋さんは、実は鷲神社で熊手を売るお店が約150店ある中で  一番店舗数の多い5店舗を構える老舗の熊手屋さんです。
私たちは、お客様のお名前などを木札に書くのですが、商売繁盛を祈願するものなので、個人名以外にも、お店の名前や、社名を書く事が多くこのお店が繁盛しますように!という思いで揮毫しています。
江戸時代から、200年近く続く中で、このお札を書く職人さんも、世代交代を繰り返し、それに肖って、江戸っ子でも何でもない私がここで馴染んで書いていることも、ちょっと粋?!だな、と思いつつ…。お店の皆さんが、やはり地元の方々なので人なつっこい気質のおかげかと思います。

そして、家内安全、商売繁盛の威勢良い手締めと掛け声が響く中、書きあがったお札を見て、お客さんが喜んでいるのが隙間から見え、筆耕冥利に尽きる贅沢な瞬間でもあり、二の酉を終え次の三の酉も、もっと早くて、上手い字が書けるようにと願っているところです。

禅の書

~禅と茶の湯、そして書~

文 出口胡蝶

禅の書パンフレット

先日、世田谷区上野毛にある五島美術館で開催されていた「禅宗の嵐」秋の優品展をCACA(現代アート書作家協会)のメンバー約10名で拝観して来ました。
五島美術館は、東急(東京急行電鉄)の創始者、五島慶介の美術コレクションを保存展示している美術館です。
今回「禅の書」とその歴史背景が紹介され、見学会後の岡本先生の講義により少し全体像が見え、とても勉強になりました。

私なりに簡単に解説をすると、

鎌倉時代初期に、臨済宗の開祖である僧侶栄西が、中国へ修行へ渡り禅を(宋=徽宗皇帝の時代)日本へ布教し、同時に中国で儀礼でも用いられていたお茶の効能を知り、日本の鎌倉武士に普及させました。

そして、臨済宗の沢山の僧侶が中国と交流を深めて行く中、 円爾弁円(亡くなった後の称号=聖一国師)という駿河出身の高僧が、静岡茶を普及し、開祖となりました。(南浦紹明は、福岡で広めました)

因みに、お茶はそれ以前は、平安時代にも遣唐使空海がお茶の種を持ち帰って来ていましたが、位の高い天皇など、ごく一部の者だけが愛飲していた珍しいものでした。

そして、お茶がこの時代に根強く普及した最大の理由は、鎌倉から南北朝時代の戦国武士たちは、殺戮が日常茶飯事で、常に死と隣り合わせの生き方だった事で、お茶が、戦いの後の精神的な癒し効果となり、精神的な面でのオンとオフとして取り入れられ、流行していったそうです。
現代人のストレスとは比べ物にならないものだったに違いありませんね。

私たちCACAでは、昨年から「禅の書」を学んで来たつもりでいましたが、こういった裏側を知ると、茶の湯が、武士の世にとって、今より必要不可欠で、茶室の床の間に飾られた「茶掛け」の書の精神的な重さを考えると、書の役割も今より何倍も大きかったことが想像できます。
高僧の書が=「禅の書」と言えるとすると、書家の私が書くものは"禅の書のスタイルを含んだオリジナル書"になるのかなと思いました。
これかれらは少しでも、禅僧の境地を想像し、禅的スピリットを持って書こうと思いました。

※今回の展示では、花押が書かれた書状は1点しか見当たりませんでしたが、武士によって花押が盛んに用いられ花押が沢山生まれたことに対して、禅僧にとっては中国の影響が強いためか、花押ではなく落款が主に使われていたと言えます。