飾
「書」を書くということの次に、飾るという行為がありますが、飾るといういう字は、なぜ食へんなのかというと、人の前にある祭事用の器にのった犠牲(いけにえ)の牛を布巾で拭き拭うことから「飾」の漢字が出来たそうです。
のちに、「かざる」となり、装飾、修飾など様々に手を加え美しく飾る意味になりました。
Words & calligraphy
書家・出口胡蝶の、書とことば。
「書」を書くということの次に、飾るという行為がありますが、飾るといういう字は、なぜ食へんなのかというと、人の前にある祭事用の器にのった犠牲(いけにえ)の牛を布巾で拭き拭うことから「飾」の漢字が出来たそうです。
のちに、「かざる」となり、装飾、修飾など様々に手を加え美しく飾る意味になりました。
「荷」は、物を肩に担ぐことで荷物の意味ですが、全く違う意味で、「荷華」と書いて蓮の花のことを言います。
永井荷風の「荷風」は、蓮の上を吹き抜き渡る風という意味で情緒的で、とても好きな熟語です。
マルコポーロが黄金の国ジパングと記したことは有名ですが、平泉は世界の貿易都市として繁栄し、大陸からの国交も盛んに行われていたことが最近分かってきたそうです。
螺鈿の貝は東南アジアからでしたが、大陸からのルートは様々で、北方からはロシアのアムール地方の品や、アザラシの皮などをアイヌ人との交流によって入手し、馬の鞍に当てたりしていたそうです。
アイヌ人もその昔は、海賊として海に出てロシアや中国との交易をしていたりしたということを読んだことがあるので、それが平泉に流れているということはあり得ることだと思いました。
そうして、「金」を産出していることを武器に莫大な富を産んでいたということは、金色堂だけでなく平泉が自体が、極楽浄土のような土地で、ローマや、長安のような異国の商人たちが集り、異文化の国交都市だったということが分かりました。
その辺りも想像し、また足を運んでみたくなりました。
「金」は銅などを一定の型に鋳込んだ金属塊=インゴットの象形文字です。
インゴットは、鋳塊(ちゅうかい)と訳され、金や銀においては延棒とも言われますが、棒というほど細長くは無く少し台形型です。
「金」の点2つは放射状に左右に延び、ピカピカと光が放たれているイメージにも見えてきます。
古くは「金」は金属全般のことを意味し、青銅器を作る青銅をはじめ、金、銀、銅、鉄などの鉱物全般を言いました。
日本では、校長先生のスピーチなどで、金・銀・銅の漢字を、銀は金よりも良く、銅は金と同じだ(銀=金へんに良、銅=金へんに同)と言って、子ども達を励ますためのエピソードがあります。
順位が全てではないという意味が伝わり納得しますね。
中国の漢字の成り立ちは、繰り返された戦争の残虐さを証言している漢字が多いのに対し、日本では、漢字をポジティブな意味に置き換え、情緒的な表現で変換し説明されて語られることが多い傾向にあります。
金銀銅のエピソードはその代表的な例だと思います。
子どもには、確かに恐怖を仰ぐような説明をすると漢字は怖いものと思われるので、グリム童話と同じで漢字には夢がある、と思って楽しく覚えてもらった方が良いかも知れませんね。
岩手県平泉 奥州藤原氏建立 国宝中尊寺金色堂は子供の頃に家族旅行で夏休みに行った思い出があります。
小学2年生だった私は、お堂の凄さなど当然分からなく、歴史好きだった父だけが楽しそうに興奮気味だった様子が記憶に残っています。
そんな思い出の中尊寺金色堂ですが、日本の各地に流通していた金の殆どが東北のこの周辺で採掘されおり、平泉は、900年前の平安時代後期から栄えた東日本最大の都でした。
金色堂の内部は5.5メートル四方の面積で、床も全て金箔で、世界で唯一の皆金色堂だそうです。
そして金の使用量だけでなくそれに見合った金工の技が駆使され、金工と共に螺鈿(らでん)細工も最高の技術で装飾されており、その全てに極楽浄土へ人々を導こうとした藤原清衡の強い思いが窺えます。
もとの字は「聿」と「者」とを組み合わせた字で「聿」は筆を持つ手の形で「者」は書を司る者を書史と言い、祭事で神聖なる文字を書く任務の人のことを表した漢字です。
古代では漢字を書くことは、人への伝達手段ではなく、呪文(まじない)をお札にしるし、神へ捧げるための文字として書かれました。
「書は人なり」という言葉があります。

中国唐時代の四大家の一人、顔真卿の「祭姪文稿」が有名ですが、甥の死を悔やみ悲しんで書いた手紙で、人の感情が投影された現存する最古の手紙(草稿)と言われています。
手紙も様々ですが、怒りや、悲しんでいる状態で書く時ほど、感情的になり、より文字に写し出され、受け手側に、より一層迫って来るものだと思います。
西洋でも、英語で書かれた手紙を資料としてよく見かけますが、楽聖で知られるベートーヴェンが「不滅の恋人」と呼ぶ恋人への手紙が残っていて、ベートーヴェンがプロポーズをし、結局は断れてしまいますが、想いが溢れ、書いたと思いわれる文字が印象的でした。

下の行の文字と被さり、ぶつかっていたり、文字の抑揚が激しく、決して綺麗ではない文字ですが聴力を失い、作曲家としても波乱万丈な人生だったことや、曲からも窺えるように、悲しみを跳ね返すような、力強さと憂いさが魅力となっているのではないかな、という思いから、ベートーヴェンと顔真卿はそんなところが似ているな…と感じました。

東洲斎写楽は、江戸時代中期の浮世絵師としてデビューし、わずか10カ月間で画業から足を洗い、姿を消したと言われる謎の絵師として有名ですが、なぜ、そんな超短期間で姿を消したかという理由があるのを知りました。
写楽は、同じ役者絵を描いた絵師と比較し見てみると、顔の特徴を大胆に誇張して、皺や、鼻など大きく描くため、書かれた役者からは自分の欠点を誇張されたことで嫌厭されてしまったからだそうです。
当初は、蔦屋というプロデューサーのような人物が、写楽の才能を見いだし、いきなり綺羅刷りというキラキラ光沢のある高級紙を使って一流絵師として写楽を売り出し、大当たりしたそうですが、あっという間にライバルが出現し、個性を抑えた作風に写楽の絵は負けてしまい、写楽は自分の描きたい画風を否定されたことで、描くことの意味を失いもとの能役者に戻ったと言われています。
逆に、世間に合わせて沢山売れる絵を描かなかった写楽は、後世で高い評価を得たことは、言うまでもありません。