Words & calligraphy

漢字エッセイ

書家・出口胡蝶の、書とことば。

20224月4編のエッセイ

藤原行成

文 出口胡蝶

藤原行成 菊池容斎画『前賢故実』より
(菊池容斎画『前賢故実』より)

藤原行成(ゆきなり、こうぜい)は972年平安中期の公卿で平安の三蹟の一人です。

◆三蹟とは
平安時代を代表する能書家(小野道風、藤原佐理、藤原行成)
三蹟の時代に、中国風の雄渾な書から、日本人好みの優雅で優しい和洋の書が完成され、現代にも通じています。

藤原行成は24歳の時に世尊寺というお寺の蔵人頭(くろうどかしら)に就任しました。
行成の人柄を語る記述も多く、資性明敏で温厚、義理固く、謹厳な態度などなどが挙げられれ、さらに才女、清少納言との交際も枕草子に描かれているという、容姿も良かった?のではと想像することができますね。
蔵人頭とは、天皇(嵯峨天皇)直属の秘書機関の最高責任者のことを言い、それ以降 行成の流派のことを世尊寺流と言われるようにもなりました。

藤原行成 本能寺切原寸臨書
(出口胡蝶受賞作「藤原行成 本能寺切」原寸臨書)

ちなみに、装丁の生地模様は前週のエッセイで取り上げた正倉院模様を使用しています。

■本能寺切とは
藤原行成の書いた長巻の一部が本能寺に伝わったことから本能寺切と言われています。
本能寺の変で、焼かれずに他の場所へ保管されたのか?など謎です。

小野篁、菅原道真、紀長谷雄などの日本の詩人の名句を撰び行成が書いているため、行成の他の作品と比べても、気合いの入った真骨頂が盛り込まれている作品です。
中国製の文様のある高級紙を用いて書かれており、調度性も高いとされています。

「訓み下し文」
閑居は、誰れ人にか属す、紫宸殿の本の主なり。秋水は、何れの処にか見る。
朱雀院の新しき家なり。智者に非れば、之れを楽しまず。故に

正倉院文様

文 出口胡蝶

正倉院模様

イスラム天文学は、15世紀には1年が365日周期だということをほぼ正確に計算した最も優れた天文学で、シルクロードの民として天文の知識が無いと砂漠や海の大航路を渡る事は出来ないため天文学が発展したと言われています。
そして、イスラムの占星術も今でも星占いとして受け継がれています。シンドバットの冒険の物語なども船乗りたちの自慢話が基になって作られたと言われています。

正倉院模様

曼荼羅に戻りますが、そう思って見ると、シルクロードは別名「文様の道」でもあり、東の終着点と言われる日本の正倉院に伝わる文様も、葡萄の文様や唐草文様が多く見られ、それはペルシャ文様を意味します。
ペルシャから運ばれたであろうガラスの器も未だに正倉院で昔と同じ輝きを放っています。
そして気がついたことは、正倉院文様は、曼荼羅そのものでは?ということです。
羚羊や、鳥(鳳凰)、神獣、なども様々な動物も織られていて日本に到達するまでに通過して来た国々の文様が入っているため、曼荼羅と正倉院文様は、基は同じなのではないかな、という事が今回分かりました。
これから身近にあるファブリック文様や、着物、帯、スカーフ、タイル、壁紙など注目して観てみると楽しいですね。

曼荼羅

文 出口胡蝶

空海金剛界、胎蔵界曼荼羅

空海が師の恵果から、密教の正統な後継者としてただ一人選ばれ授かったのが胎蔵界曼荼羅と、金剛界曼荼羅です。
そこで曼荼羅はどこから生まれたのか?ということで探ってみました。
曼荼羅は、密教の発祥の地インドで誕生しましたが、今は密教が滅んでしまったためインドには曼荼羅は残っていないそうですが、その流れを受け継いだチベット、ブータンに超一級の曼荼羅が多く残っています。
なので、空海が持ち帰って来た曼荼羅は、インドから中国唐に入って来た正統なもので、空海が継承後に日本式に変化させ、儀式の時に使用していたようです。

ブータン砂曼荼羅
(ブータン砂曼荼羅)

前回イスラム文化をテーマに調べていた事を含め考えてみると、密教発祥のインドから日本に継承されたので、インド発祥とされていますがもともとは、広い意味でもっと西のイスラム文化から東に繫がっているのでは?と考えられます。

それは、曼荼羅は左右対称で、正方形の中に円が沢山あり幾何学的な形の中に唐草文様などがびっしり描かれているという点で、あのブルーモスクのタイル文様と共通しています。
イスラムでは、人物や動物を象徴することは無いため、植物などの文様で「青」が基調です。
しかしインドでは仏菩薩、神々、餓鬼が描かれるようになり赤、緑、青、黄色の配色で表現されそれぞれの信仰上の違いで配色も変わっているのが分かります。

キリスト教会バラ曼荼羅
(キリスト教会バラ曼荼羅)

そして曼荼羅図鑑をめくって行くと、イスラム、インド、チベット、ブータン、中国、日本だけではなく、キリスト教文化圏、さらには自然界のあらゆる形が曼荼羅として無限に存在する事が分かりました。

やはり、宗教によって変化しつつも、宇宙を意味している曼荼羅の発祥は、天文学、占星術を生み出したイスラム文化から?だったように思えて来ました。

つづく

千字文2

文 出口胡蝶

千字文の文字を揮毫したのは、智永という能書家で書聖、王義之の家の子孫、継承者です。
1000文字を楷書と草書を並べて書かれているため、真草千字文とも言われています。
王義之より、250年あとに生きた人物なので、8代目?くらいの子孫になるのではないかと思います。
そして、その千字文は、王義之が書いた晋唐小楷という 小さい楷書を手本として智永が書きました。
智永も、王義之の書風を継承する家で育っているので当然、生まれた時から親しんで身に付けていた楷書だったと考えると、筆法や、書体も癖が無いニュートラルで子供でも分かりやすく学べるお手本ということになります。

日本でも、奈良時代から近代の明治、昭和~になってからの著名な書家も皆この千字文は、必ず通る道であり基本となっているのだなと、考えると一言で、お手本というだけではなく、宇宙観や道徳感も含まれているとは本当に書道(中国では書法)は奥が深いなぁ、と思いました。

私も過去に、他の業界の人からこんな事を言われました。
書道を勉強している人は、字を書く事だけが優先で、自分が書いた作品の意味も分からず、師匠のお手本を模写しているだけでは?と。
でもその通りかも知れません。
意味を理解した上で書き、解説できるようになるには、やはり書の歴史を知る事が大事かなと、あらためて今回、1500年前の千字文から教わりました。