Words & calligraphy

漢字エッセイ

書家・出口胡蝶の、書とことば。

20229月3編のエッセイ

京都花押記

~戦火での寺の危機を守った花押~

文 出口胡蝶

先週、私の在籍している現代アート書の展覧会があり京都へ行って来ました。
それに伴い、時間を作って必ず観に行く予定でいた展覧会がありました。
相国寺承天閣美術館での特別企画展「武家政権の軸跡-権力者と寺」という題目で、何やら、花押の匂いが漂っていたので、花押を知るための手がかりを、書籍ではなく実際にこの目で見られるのでは?と思い、帰りの新幹線の時間を気にしながら早足で拝観して来ました。

特別企画展「武家政権の軸跡-権力者と寺」ポスター画像

思った通り、沢山の花押に出合う事が出来ましたが、その多くはある目的のためでした。
それは相国寺を創建した足利義満以降、歴代の足利将軍と深い繋がりによって収蔵されていた沢山の遺品を、応仁の乱などの度重なる戦火から守るため、その時代ごとの権力者が、寄付により復興させて来た歴史があったからでした。
そのため、武家や幕府と、相国寺の住職や寺領との間で交わされた文書に「花押」がサインとして書かれたのです。

花押が、どのような役割で使われていたかという事や、花押の存在で全体が引き締まり、画面の中の起承転結の結となり、文書の重大性を示しているのを感じました。

つづく

伊藤若沖

文 出口胡蝶

先日、CACA現代アート書作家協会の京都展が開催のため、京都に行って来ました。
沢山ある神社仏閣の中で、いつも訪れているのが相国寺の承天閣美術館で、今回も拝観して来ました。
室町時代に足利義満が創建したお寺で、伊藤若冲ゆかりのお寺です。
若冲の作品が常設展示されており、その理由は相国寺の住職が若冲を早くから絵師として抜擢し、一生涯において、大変深い関係だったことから、若冲の絵が沢山収蔵されています。

伊藤若沖の作品

今回展覧会が開催されたギャラリーからも近い、錦市場で若冲は八百屋の長男として生まれ育ちました。
通るたびに若冲がこの辺で絵を描いて遊んだりしていたのかなと、タイムスリップした気になりワクワクします。
因みに、今回何としても行きたかった、藤井有鄰館(中国殷~清時代の書画、印、青銅器、磁器などが収蔵されている美術館)も拝観して来ましたが、展示されていた中国の明時代の絵画と、若冲の動植綵絵がそっくりでした。
義満が日明貿易で集めた明の美術品も相国寺に収められていたそうなので、それを見た若冲がかなり影響を受けて腕を磨いたことも納得できました。

京都二条城で撮影した雲龍(飛行機雲)
※京都二条城で撮影した雲龍(飛行機雲)

つづく

運慶の花押

文 出口胡蝶

今回は、鎌倉時代初期に天才仏師として腕を振るった運慶の花押に注目しました。

運慶の活躍の背景には、運慶の才能を見込んで鎌倉幕府が奈良から呼び寄せ、幕府のお抱え仏師となり、北条氏、三浦一族らが注文主となり、鎌倉に近い三浦半島で仏師10人くらいでチームを組み沢山の仏像を残したことがありますが、意外と知られていません。
運慶が棟梁としての役割も担っていた事が分かり、技術指導はもちろん、弟子の給料の事なども考えながら、依頼者の武士たちと色々な交渉をしていたのかな、など想像が膨らんでしまいます。

運慶の花押

運慶の花押について
私の個人的な推測ですが、運慶の「運」の草書体が花押の筆跡の造形と重なるのでは無いかと考えました。
模写してみると、今まで書いた中で一番、筆順が分かりにくく流れが掴めない難しい花押でした。
運の字のしんにょう部分は大きく弧を描き、運慶の仏像の動きの表現から来るのかな?とも想像しました。