御家芸
東京オリンピックが先週から始まり、スポーツを普段観ない私がこの1週間で沢山のスポーツを一気に観るというだけで少し不思議な感覚です。
そんな私が気になったのはスポーツ競技の「御家芸」の3文字です。
柔道、体操、野球、バレーボール、マラソン、競泳、レスリングなど、こんなにメジャーな競技が日本の御家芸だったとはあらためて日本はスポーツが盛んな国だったことに驚きました。
Words & calligraphy
書家・出口胡蝶の、書とことば。
東京オリンピックが先週から始まり、スポーツを普段観ない私がこの1週間で沢山のスポーツを一気に観るというだけで少し不思議な感覚です。
そんな私が気になったのはスポーツ競技の「御家芸」の3文字です。
柔道、体操、野球、バレーボール、マラソン、競泳、レスリングなど、こんなにメジャーな競技が日本の御家芸だったとはあらためて日本はスポーツが盛んな国だったことに驚きました。
国技と言えば、書の世界では御家流です。
日本の独自の書風で江戸時代、徳川幕府が、我流の崩した文字による読み間違えや、争いを無くそうと御家流を浸透させ統一を計りました。
そして、実用書として寺子屋の手本とし、大衆へと広まり、江戸の町人文化を彩る書体へと変化して行きました。
時代劇などでもかわら版や、巻紙などでよく見かける流麗な文字です。
ちなみに御家流の文字は、尊円法親王(能筆)の流派(和様の書)に中国の南宋の張即之の力強さを加えた「青蓮院流」が始まりだそうです。
御家流が庶民の手に浸透すると、総称で江戸文字と言われますが、芝居文字=歌舞伎の文字(勘亭流)や、ビラ文字が起源の寄席文字、そして、代表的な御家流の流れを汲んでいるとされる相撲文字などが生まれました。
「官公」とは違った町人の文字に変化していき、それぞれ考案者の名前がついた書体となり、独自の工夫が文字のデザインに隠されていました。
江戸時代はまさに、民衆のための活気ある書が溢れていたんだなと、感じます。
扇子の起源は、団扇(うちわ)として中国から伝わり、それがもとで100年後の平安時代に扇子(せんす)となりました。
貴族の間での必需品として欠かせないものでしたが、当時はメモ変わりだったそうですので、恋文などの草稿を書いていたのかも知れません。
ちなみに現存する最古の扇子は、東寺の千手観音像の腕の中から発見され、元慶元年(877年)1144年前の扇子です。
扇子はその後、中国を経由してヨーロッパに伝わって行きました。
マリーアントワネットでイメージできますが、貴族の間でも装飾品として豪華な扇子を、舞踏会などで持ち、会話を楽しんでいる光景を思い浮かべます。
日本の扇子のような和紙と竹で出来たものとは違って、レース刺繍や羽などのゴージャスな素材で出来ていました。
涼を生む道具ではなく、豪華な装飾で身分を見せつけるというような意味があったようです。
シンデレラが、ガラスの靴を脱ぎ落として、王子様が靴を持って町中を探すという童話のように、ヨーロッパの貴族たちの間でも、扇子をわざと落とし王子様に探させるという恋愛戦術があったそうです。
これは私の想像になりますが、扇子に貴族の紋章などの刺繍がされていて、結婚相手に相応しいかどうかの手掛かりとなったのかも知れないと思いました。
「扇」おうぎの漢字は、会意文字と言って、違う意味の漢字が組み合わさって新たな意味の漢字が出来た文字を言います。
扇の場合は「戸」と「羽」で構成されていることから、戸や羽のようにバタバタと揺れ、風を起こすことから扇ぐの意味になりました。
最近の夏に感じることは、若い人が扇子を持っている光景はあまり見なくなり、首から扇風機を下げ、手にはスマホを持っているというのが今風になっていますね。
そういう私も、北海道育ちのせいか、扇子はあまり使う習慣はありませんが、夏に扇子を持っている人の姿は、情緒がありどんな時代でも途絶えて欲しくないなぁと思います。
ちなみに、京都に行くと、扇子のお店があちこちに在り、日本らしさを感じる要因だったのだなと思いました。
人が同じご馳走(お供えもの)を前にひざまずいて向かい合っている形です。
故郷に帰ることが出来ないまま、2年目に入るという方も多いのではないでしょうか。
一昨年までは、郷の字の意味とも重なり、離れている家族のもとへ帰省しお墓参りをし、家族団欒の時間を過ごせました。
古代の郷の漢字は、家族団欒というよりは、儀式的な意味が強いとは思いますが、来年のお正月までには、郷里に何の後ろめたさも無く帰れるようになって家族みんなで食事をしたいと願うばかりです。
7月7日、七夕の「織姫と彦星」はもともと中国の後漢以降の文献にあった「牛郎識女」という物語から、日本に伝わりました。
織女は、羽衣を着た天女でいつも織物を織っていました。
彦星(牛郎)は牛飼いで、二人は住む世界が違うにもかかわらず恋をし、一緒に暮らすようになり、子供も授かりましたが、織女が織物をやめてしまったり、天界の掟を破ったことで母親の怒りを買い、年に1回だけカササギの橋を西と東に架けられ、その橋を渡ってしか会うことが許されないという罰を与えられてしまいました。
それにしても二人の間に子供が居たとは意外でした。
子供のころクリスマスに「おりひめ」という子供用の織り機を買ってもらい、嬉しくて夢中になって遊んだことを思い出しました。
織女の伝説のことはもちろん知りませんでしたが、マフラーや、小さな敷物などが自分の手で生み出されることや、毛糸の色の組み合わせや織り方で色んな模様ができ、模様のデザインを
するということの、はじめての経験だったように思います。
ただ、のちにデザイン学校で織物を専攻しましたが、規則的な模様を周到な計算の上で織っていく作業は、残念なことに私には向かないと気がつきました。
糸が絡まったり、切れたりで大変だという苦い経験が強く残ってしまい、その経験から、紬や絣の生地を見ると、脱帽の思いに駆られ大事に使おうという気持ちになります。
「たくみ」は竹で編んだ籠の中に斧がある形です。
手斧を使って竹を割き、木を削る人が「匠」とされる人でしたが、それが広く意味が膨らみ、技芸などを教える人などの意味になりました。
師匠=先生
匠の技などの使われ方がありますが、切磋琢磨して最高の技術を磨き上げ、それを生業といている人のイメージです。
鵜匠、鷹匠なども匠を使っているので、職種は様々のようです。
天台宗の開祖、最澄の言葉で、「一隅を照らす」という言葉が重なりました。
「自分自身が置かれたその場所で、明るく光り輝くことのできるように精一杯努力する」という意味だそうです。
比叡山延暦寺には、1200年間絶やすことなく灯し続けている「不滅の法灯」と呼ばれる灯火があります。
一瞬たりとも火が消えないよう、1200年前もの間、変わらぬ原始的な方法で、菜種油などで燃やしているとのことです。
最澄の教えの「一隅を照らす」の言葉を形として実践している証拠だと言えますが、過去の戦争や災害の時にも守り通して来た執念は、大変なものだと思いました。
奈良東大寺二月堂のお水取りも、「不滅の法灯」と同じく1270年間途絶えることなく毎年行われているそうですが、今年は史上初めて無観客でのテレビ中継が行われ、そのことで私のような中途半端な耳学問で知っていたというだけの「お水取り」が映像で観る機会が与えられ、とても有難いことだなと思いました。
いつか、実際にその場に行って、僧侶の走る床の音の響きや、火の粉が舞って降りかかるような緊迫感の中に立ってみたいものです。
「かがみ」は、水に自分の姿を覗き込んで映した水鏡=「監」の字です。
後に金へんがつき、鑑になりました。
青銅や銅や鉄などの金属で作られた器に入った水に自分の姿を映したことから、監視、鑑みる、などの意味の漢字になりました。
その時代の人たちは、自分の姿を水を上から覗き込んだ顔しか見たことが無かったということを思うと、自分でお化粧をするのは大変だっただろうなと思いました。
そのころは刺青だったのかも知れません。
「かがみ」は、自分を映す鏡とは別な使用法で、祭祀や呪術具として用いられた鑑(鏡)があります。
中国では、古いもので4000年くらい前のものが発見されており、前漢~唐時代にかけて沢山作られていました。
その中の文様は、植物文、神獣文、鳥獣文、幾何学文と今に通じる文様がぎっしり鋳込まれており、漢字も文様のよう円の中や、四角の中に配置され省略化された異体字が多いですが、まさにデザイン書体の宝庫でもあります。
ラーメン丼ぶりの模様を思い描いてもらえると分かりやすいかも知れません。
今、博物館などで観る鑑は酸化して青緑色をしていますが、もともとは白銀や、黄金色に輝いていたそうです。
日本でも古墳などから出土しているため、呪術として使われていたり、嫁入り道具や、副葬品として納められているものが多いようです。
今では、鏡餅としてお正月にお供えする習慣はそこから来ているのですね。
文様の中に頻繁にある×印の文様は、魔除けの意味だそうです。
書かれている文字の文言は、主に吉祥語が書かれていて親しみやすいロゴのようにも見え、拓本を見ていると飽きることがありません。