絵
「絵」は糸へんに会(會)と書きます。
會は色々な食材が入ったごった煮の鍋の意味があり、古くは、紙に書かれた絵ではなく、紙ができる前の時代の織物や刺繍の文様のことを指して絵の漢字が作られました。
和食や、フランス料理はお皿の中の余白が多く、楚々とした盛り付けですが、中華料理はお皿いっぱいに盛られた料理が、円卓にどんどん積まれて行くので中国での「絵」の漢字の意味に通じるものを感じます。
Words & calligraphy
書家・出口胡蝶の、書とことば。
「絵」は糸へんに会(會)と書きます。
會は色々な食材が入ったごった煮の鍋の意味があり、古くは、紙に書かれた絵ではなく、紙ができる前の時代の織物や刺繍の文様のことを指して絵の漢字が作られました。
和食や、フランス料理はお皿の中の余白が多く、楚々とした盛り付けですが、中華料理はお皿いっぱいに盛られた料理が、円卓にどんどん積まれて行くので中国での「絵」の漢字の意味に通じるものを感じます。
ピカソの絵で青の時代と呼ばれる時代があったのは有名ですが、それはピカソの若き日に起こった友人の自殺が引き金でした。
ピカソは深刻な鬱病になり、4年間青い色調で、孤独、貧困、絶望をテーマにした暗い絵ばかりを描くようになりました。
そのことで批評家や一般人からも見放され、ピカソ自身も貧困の窮地に陥ってしまい暗い部屋を照らす油を買うお金もありませんでした。
でもそんな精神状態にあっても尚、キャンバスを暖炉で燃やし、灯にして絵をひたすら描いていました。
「La Vie」= 人生 という絵がその時の代表作ですが、「人生」の光と影がこんなにはっきり分かれているのも、芸術家ピカソの魅力なんだなと青の時代を知るうちに感じました。
その後、ピカソは薔薇色の時代へと移行していきます。
江戸時代~明治時代の日本は至る所に様々な青(藍色)が使われていました。
青い瓦、青い暖簾、着物、手ぬぐい、旗などなど、沢山の物に藍染めの布が使われていたため、外国人から見ると青い国という印象を持たれ、ジャパンブルーと言われたり、浮世絵にも青があったので広重ブルーとも呼ばれたそうです。
藍の漢字は白川静の常用字解には載っていないため、古い時代の中国での藍の存在は不明ですが、最近では、青い空を取り戻そうという運動で「藍」の字が流行漢字になっているそうです。
藍色(コバルトブルー)は色としてはどこの国にもあるとは思いますが、日本は藍の植物を染料とし、藍染め技術を発展させ、独自の青を改良していったことで世界に類を見ない色数を誇る国になりました。
先週、甲骨文字を取り上げましたが、ゾウ「象」の形と書いて象形(しょうけい)と言ったり、印象、抽象、象徴、無象、現象、気象などの形を代表する言葉として動物の「象」をなぜ使うようになったのか不思議になり、調べてみました。
まず、象の字こそ、象形(しょうけい)文字と言いますが、一番大きな形をしていることから形の象徴になったとも言われています。
象は、甲骨文に、「象を獲んか」と占った形跡があることから漢字が生れた頃の中国殷(紀元前5~6世紀)にはまだ、長江北岸の地にも象が生息していたと考えられます。
甲骨文字に登場する以外にも沢山の種類の動物が生息していたはずですが、王にとって占って捕まえるだけの存在だったからこそ、甲骨文字として残っているのですね。
そして、捕らえた象を宮殿を作る時の土木工事や測量にも使っていました。
力持ちなだけでなく温厚な性格なのと、象牙などが重宝され、どんどん数が減り国から国への献上品にもなりました。
日本にも、江戸時代中期に中国から徳川吉宗へと献上され、長崎に象が渡来し、箱根八里を越え江戸まで辿り着いたという話があります。
伊藤若冲の絵でも、象が登場しますが江戸時代の後期になると見せ物として見た人が絵にした資料や、図鑑などで観て、象や虎、孔雀などを自分なりに想像しながら描いたのかも知れないと思うと、今のようにテレビ映像や、動物園でいつでも観られるよりも遥かに珍しく、神獣として尊敬の念を持って描いたのかなと、思います。
先日の個展に出品した中で注目を集めたのが甲骨文字の「象」です。
形は字典の字をそのまま切り取ったのですが、甲骨文字はすでにデザイン性あり、愛嬌のある字姿なため、直ぐにイメージが見る側に届きやすいと感じました。
甲骨文字は亀の甲羅やウシや鹿の肩甲骨に彫られた文字で、占いのために中国最初の王朝、殷(商)時代に盛んに彫られました。
甲骨文字を漢字の歴史からみると、それが発見されたのはつい最近で、清の時代の末期(19世紀)のことでした。
骨董屋で、マラリアの薬、「龍骨」と称して売られていたところを考古学者がたまたま字のようなものが刻まれているのを見つけ、研究されたことが始まりで、漢字の最古の文字と言われるようになりました。
なので発見前の時代の4000年くらいの間は、誰も知る由がありませんでした。
農民などにより、度々開墾の時などに出土していたそうですが、関心を持たれることもなく捨てられていたそうです。
確かに、髪の毛のような細い線で刻まれ、人差し指程度の小さい記号のような文字なので、気がつきづらいかなと思います。
甲骨文字は、黄河下流の南側に位置する現在の河南省小屯村周辺が殷の跡地であったことから、そこから大量に発掘されました。
河南省と言えば、先月末にも大雨で洪水に見舞われ、昔から災害が多いことでも知られているようですが、今回は千年に一度と言われるほどの規模の雨だったようです。
かなりの大災害が世界中で起きていますね。
発掘されかけていたものは、また土に埋もれてしまったかも知れませんし、埋もれていたからこそ保存状態が良くずっと残ることもあるでしょうし、どれだけ膨大な遺物が眠っているか、計り知れません。