北条家花押
~北条一族の花押から見えて来る野望とは~
今回は、今大河ドラマ「鎌倉殿の13人」の主人公北条義時の花押を探るため、北条一族の花押を資料から、全て模写してみました。
幾つか分かってきたことは、花押の資料に掲載されている中で、断トツで数が多く、さらに他の時代全ての花押を見ても最多数であることに気がつきました。
花押が流行した時代=北条の繁栄した時期だったと言える?のが窺えます。

源頼朝から受け継ぎ、政権を支配していた北条義時の花押を取り上げて見てみると、他の沢山の花押に比べ、縦長の形状で横(斜め)に動く線は短く、吐出した見せ場のような線は天辺に少し突き出した部分だけです。

頼朝の花押と書いて比較してみると、頼朝の花押を基にし、義時の方が地味で、動きが少ないので書きやすいと感じました。
~義時の人物像~
義時は、頼朝の側近として最大の信頼を得ていましたが、頼朝の死後、嫡男の頼家が2代目征夷大将軍になり、まだ若かったため側近として政治を支えるために有能な武士団(チーム鎌倉)を固め義時が指揮官となり権力を持ちました。
姉の雅子ともタッグを組み、いつ自分たちが滅ぼされてもおかしく無い危うい時代のリーダーとしてどんどん残虐な選択をせざるを得ない状況に追い込まれていったのだと思います。
花押から見ても、リーダーでありながらも金銀財宝を収集したり、オリジナリティー性を主張するようなオーラのある人物ではないように思います。
逆に、地味だからこそ、人の心を見抜き人を動かす能力に長け、戦略の上での強みになっていたと言われています。
今の世の中でも、そういう社長の方が、現実的に人がついて行くのだなということを感じ、勉強になりました。
続く
書き手のまなざしに、もう少し。