運慶の花押
今回は、鎌倉時代初期に天才仏師として腕を振るった運慶の花押に注目しました。
運慶の活躍の背景には、運慶の才能を見込んで鎌倉幕府が奈良から呼び寄せ、幕府のお抱え仏師となり、北条氏、三浦一族らが注文主となり、鎌倉に近い三浦半島で仏師10人くらいでチームを組み沢山の仏像を残したことがありますが、意外と知られていません。
運慶が棟梁としての役割も担っていた事が分かり、技術指導はもちろん、弟子の給料の事なども考えながら、依頼者の武士たちと色々な交渉をしていたのかな、など想像が膨らんでしまいます。

運慶の花押について
私の個人的な推測ですが、運慶の「運」の草書体が花押の筆跡の造形と重なるのでは無いかと考えました。
模写してみると、今まで書いた中で一番、筆順が分かりにくく流れが掴めない難しい花押でした。
運の字のしんにょう部分は大きく弧を描き、運慶の仏像の動きの表現から来るのかな?とも想像しました。
書き手のまなざしに、もう少し。