信長の陣羽織
8年前に胡蝶の雅号を頂いた時に、先生から信長の陣羽織には蝶の家紋が入っていると聞いたのを思い出し、どんな蝶の文様かあらためて調べてみました。

すると、コウモリのような強くて恐れを感じさせる蝶でした。
信長が可憐な蝶をまとっていては意味が無いので当然ではありますね。
「織田信長」は、イエズス会の宣教師から譲り受けたマントを好んで着用していたこともあり、陣羽織もマントをイメージしてデザインし黒い羽がふさふさと埋め込まれたマントに、織田家の家紋「揚羽蝶」を背面に入れたのも、西洋の影響を受けていたことを物語っているように感じます。
丈は長く、動きやすいようにと「折ひだ」が入っており、日本刀の抜き差しがしやすい作りになっています。
武将の陣羽織は甲冑を雨や風雨から守る機能を持つと共に、自らの財力やカリスマ性をアピールしていました。
色や柄も敵か味方かを見分けるためにも重要な意味を持ちました。
ただ、アピールする事が逆効果となり、遠くからでも命を狙われることにも繋がるのも否めなく、徳川家康の逸話によると三方ヶ原の戦い(現在の静岡県浜松市)で武田信玄軍の攻撃に合い 人生最大の接待絶命の窮地に追い込まれましたが、家臣が、家康を守るために甲冑を交換し、主君を逃がし、身代わりになり討死しそのおかげで家康は何とか浜松城に帰還することが出来たとされています。
家康の人徳があっての家臣の行動は、信長の本能寺の変で家臣の明智光秀に襲撃された事を対比させると、皮肉にも感じてしまいます。
書き手のまなざしに、もう少し。