藤原行成

藤原行成(ゆきなり、こうぜい)は972年平安中期の公卿で平安の三蹟の一人です。
◆三蹟とは
平安時代を代表する能書家(小野道風、藤原佐理、藤原行成)
三蹟の時代に、中国風の雄渾な書から、日本人好みの優雅で優しい和洋の書が完成され、現代にも通じています。
藤原行成は24歳の時に世尊寺というお寺の蔵人頭(くろうどかしら)に就任しました。
行成の人柄を語る記述も多く、資性明敏で温厚、義理固く、謹厳な態度などなどが挙げられれ、さらに才女、清少納言との交際も枕草子に描かれているという、容姿も良かった?のではと想像することができますね。
蔵人頭とは、天皇(嵯峨天皇)直属の秘書機関の最高責任者のことを言い、それ以降 行成の流派のことを世尊寺流と言われるようにもなりました。

ちなみに、装丁の生地模様は前週のエッセイで取り上げた正倉院模様を使用しています。
■本能寺切とは
藤原行成の書いた長巻の一部が本能寺に伝わったことから本能寺切と言われています。
本能寺の変で、焼かれずに他の場所へ保管されたのか?など謎です。
小野篁、菅原道真、紀長谷雄などの日本の詩人の名句を撰び行成が書いているため、行成の他の作品と比べても、気合いの入った真骨頂が盛り込まれている作品です。
中国製の文様のある高級紙を用いて書かれており、調度性も高いとされています。
「訓み下し文」
閑居は、誰れ人にか属す、紫宸殿の本の主なり。秋水は、何れの処にか見る。
朱雀院の新しき家なり。智者に非れば、之れを楽しまず。故に
書き手のまなざしに、もう少し。