楊貴妃

文 出口胡蝶

東西交流の3つの道

空海は、約1200年前に遣唐使として訪れたことを考えると、すでに東西の交易が盛んに行われていましたので、唐の都長安で西域の文化人や、建築、美術、工芸品なども目にしていたはずです。
そして、唐の娯楽では胡旋舞(こせんぶ)と言って、サマルカンド地方のシルクロードの行商人であったソグド人の故郷の踊りが流行し、楊貴妃も得意としていたそうです。

シルクロード風景

因みに、空海が805年に唐に到着したことから計算すると、楊貴妃が玄宗皇帝の寵姫になったのが750年頃のため、50年くらい空海が後になり、楊貴妃と空海の直接の接点は残念ながら無かったと思いますが、楊貴妃のような美女が長安には沢山いたのではないかと思います。

胡旋舞

因みに、空海より前に遣唐使で唐へ渡っていた阿倍仲麻呂は中国の中でも最難関とされる科挙の試験に合格し、玄宗皇帝の側近となり日本へ帰る事が許されず717年~770年(死客)までの53年もの月日を唐で過ごしました。
しかも、阿倍仲麻呂と楊貴妃の恋のロマンスの話があることも知り驚きました。

つづく

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